日本の宝とは何か。
それは、目に見える資源や経済力だけではありません。
間違いなく言えるのは、
私たちが長い時間をかけて受け継いできた
歴史・言語・自然・文化そのものです。
そして何より厄介なのは、
それらがあまりにも身近にありすぎて、
日本人自身が「特別なものだ」と認識しにくいことです。
日本は「当たり前」が異常な国
海外を少し歩いただけで、
日本がどれほど恵まれているかに気づきます。
日本には四季があります。
春夏秋冬がはっきり分かれ、
北から南まで、まったく異なる風景が広がっています。
雪山もあれば、南の海もある。
桜が咲き、紅葉が色づき、
それが毎年、ほぼ同じリズムで訪れる。
これは世界的に見ても、かなり珍しいことです。
さらに、日本は水資源が豊富で、しかも水がきれいです。
蛇口をひねれば飲める水が出てくる国は、
実はそれほど多くありません。
この「水の質」があるからこそ、
・温泉文化
・毎日の入浴習慣
・刺身をはじめとする生食の和食文化
が成り立っています。
生の魚を安心して食べられる国。
素材の味を「引き算」で楽しむ料理。
これは日本の自然環境と、
それを大切に扱ってきた文化の積み重ねの結果です。
外国人が賞賛する、日本人が気づかない価値
興味深いのは、
こうした日本の特徴を強く評価しているのが、
日本人ではなく外国人であることです。
・街が清潔
・水が安全
・食べ物が繊細
・人が秩序を守る
・自然と共に暮らしている
こうした点は、
海外から来た人ほど敏感に感じ取ります。
一方で、日本人はそれを
「まあ、普通だよね」
で済ませてしまいがちです。
しかし、
普通だと思っているものほど、失ったときの代償は大きい。
日本は「多様なのに、まとまっている」珍しい国
日本は、非常に多様な国です。
県を一つ越えるだけで言葉が変わり、
味付けが変わり、
祭りや風習が変わる。
それほど違いがあるのに、
北海道の人も、沖縄の人も、
「日本人である」という一点で自然につながっています。
この感覚は、実は世界的に見るとかなり珍しい。
たとえば、中国では、
同じ国籍でも地域意識のほうが強く、
国としての一体感は後から教育によって作られる部分が大きい。
韓国でも、地域による微妙な距離感が存在すると言われます。
しかし日本では、
誰かに強制されなくても、
「日本人」という意識が自然に共有されている。
郷土と国が、ほぼイコールになっている。
これは日本の大きな強みです。
なぜ「守る意識」が必要なのか
ここで重要なのは、
この強さが「永遠に保証されているものではない」という事実です。
文化は、
守ろうとする人がいなければ、
あっという間に薄れていきます。
外から来る人が悪い、という話ではありません。
問題は、
内側にいる人間が価値を理解していないことです。
・水のきれいさ
・自然との距離感
・食文化
・共同体意識
これらを
「当たり前」「古い」「面倒」と切り捨てていけば、
それを欲しがる外部の人や資本に、
簡単に置き換えられてしまいます。
守る意思を持たない文化は、
いずれ誰かの都合で使われ、
形だけ残して中身が失われていきます。
日本が「まだ壊れていない」理由
戦後、日本はさまざまな形で
価値観の分断を試みられてきました。
それでも、
日本はまだ完全には壊れていません。
なぜなら、
・自然の美しさを誇示せず
・精神生活の一部として静かに取り込み
・日常の中で無意識に守り続けてきた
からです。
派手に主張しない。
声高に愛国を叫ばない。
それでも、
生活の中で文化を守る。
そこに、日本人特有の「美」があります。
日本の宝は「気づいた人」から守られる
日本の宝は、
失って初めて価値に気づくものばかりです。
だからこそ、
失う前に認識しなければならない。
四季も、水も、食文化も、
人と人との距離感も、
すべては偶然ではなく、
長い時間をかけて積み上げてきた結果です。
それを理解し、
「守る意識」を持つ人が減れば、
日本は静かに侵食されていきます。
派手な侵略ではありません。
気づいたときには、
もう戻せない形で。
日本の宝を守る第一歩は、
それが宝であると認識すること。
すべては、そこから始まります。